平日夜6時20分上映の回でしたが、席は6割くらいの埋まり具合でしょうか。年齢層は30〜40代くらいがメインですが、幅広く分布してそうな様子でした。
そういえば、スタジオジブリの映画をロードショーで見たのは初めてかもしれません。
舞台が横浜なもので、一応横浜市民としては、見ておきたいな…と。
僕は、ジブリの映画で好きなのは、「ラピュタ」「ナウシカ」「カリオストロ」「トトロ」の順で、最近のはあまり好きではないんですよね(アリエッティとポニョは見てないし…)。「千と千尋」や「ハウル」などは、テーマを高尚にしたいのかもしれないけど、その分抽象性が高くて分かりづらい感じだし、絵も細かく描きこみすぎで「アニメでここまで動かせる」というのを主張したくてやってるんじゃないかと思ったくらいです。
その点「コクリコ坂から」は主人公である海の心情(家族への思いと俊への恋)とカルチェラタン(学校の古い部室用校舎)の取り壊しをめぐる騒動という、古典的で具体的なテーマをていねいに描いたという感じで、好感が持てました。
「ていねいに」というのは、筋立てもそうなんですが、作画や音の演出面にも感じたことです。
作画は、背景はとても美しくかなり描きこんであるのですが、人物や乗り物などの「動く部分」は、かなりシンプルな感じだったと思います。ただ、例えば目の動きとか、体の重心の移動とか、そういう部分をきちんと描いて、美しい動きだなぁと感じた場面が多々ありました。
それから、音については、生活音のいれ方が素敵でした。というより、僕が幼い頃にはこの映画で描かれたような生活環境が残っていたので、聞き覚えのあるなつかしい音を聞いた、という感じです。マッチをする音とか、キャベツを刻む音といった「いかにも」な音だけでなく、木造住宅の廊下を歩く時の木のきしむ音なんかが印象的でした。
とはいえ、写実一辺倒の演出ではなく、全学討論会で俊が高笑いする場面やそれに続く乱闘シーンなどは、アニメ的にデフォルメされていて、「ラピュタ」でドーラ一家と親方が対決するシーンと重なりました。自転車やオート三輪が坂道を疾走していく時のスピード感や、大きな船がゆったりと海上を進んでいく重厚感などもふくめて、「ラピュタ的」な雰囲気を感じるシーンが多かったように思います。
ラピュタは「空」、コクリコ坂は「海」という違いはありますが、どちらも大きく広い場所であり、未知の世界を感じさせる場でもあります。バズーの父は空で亡くなり、海の父は海で亡くなっているという点も同じですしね。ラピュタはシータが空から落ちてきましたが、コクリコ坂は俊が屋根から落ちてくるとか…。
さて、学生たちの討論する内容や雰囲気は学生運動的な要素を感じさせて、それは僕たちの世代よりも少し上の世代になるのですが、カルチェラタンで活動する学生たちの「めいっぱい背伸びしてカッコつけてる感」が良かったですね。また、何度かある合唱の場面や、時計塔の鐘が校内になり響く場面など「場の一体感」を見事に描いていたと思います。
僕たちの世代もそうかもしれませんが、それ以降の世代の人間だと「周りが許してくれないなら、個人的に勝手にやるさ」という感じになって、自分たちの場を守ろうとか、自分たちのしていることの意義を周りに主張したり、わかってもらう工夫をしたりという努力を、しない可能性の方が高いのではないかな…と思います。それに、「自然体」がよいことで、「背伸びしてみせる」のは良くないことだ、という風潮も僕らの世代の特徴かもしれません。
僕は1966年の生まれですから、この映画の舞台である1963年には生まれていませんが、先にも書いたように、僕がものごころついた時には、まだこの時代の雰囲気が残っていました。オート三輪や二層式の洗濯機、木造校舎や買い物カゴ。また、劇中に出てきた「白い花が咲く頃」は、僕の父親の愛唱歌で、幼い頃にはよく聞かされたものです。
パンフレットで宮崎悟朗監督が書いていたように、高度経済成長期に生まれ育ち、青春時代はバブルの真っ直中という世代です。自分たちが無くしてしまったもの、けれどもどこかで憧れ続けてきたもの、そんなものが描かれた映画だったのではないか、と感じています。尤も「憧れ続けてきた」と感じるのは、バブルの時代の価値観にイマイチ乗り切れてなかった僕らのような「時代に乗り遅れた」人間だから感じることかもしれませんし、もう少し世代が上で、この時代をリアルに体験した世代だと「マイナス面を切り捨てて美化しすぎ」と感じるかもしれません。
さて、もう一つ、舞台としての「横浜」についても書きたいのですが、それはまた別の記事で。
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